二條さま 古事記のお話しの2 第五話の4
打擲(ちょうちゃく)する
虫を放たない。
親が子を犯さない。
子が親を犯さない。
こういったのは掟だったんです。
でも、掟破りというのは必ずいる。
必ずいます。
では、掟を破ったらどうするか。
打擲(ちょうちゃく)する。
例えば、ハブにする。
「その仲間の中では、その掟が通用していたのに、この通用しない事をするんだったら仲間じゃないよね、だったら同じ地域にいるけど、仲間として判断しません」という、そういう打擲をした。
打擲とは、ムチ打つこと、ペシッてすることです。
村八分と言うんです。
村八分はひどいですよね。
でも、ひどいけど、仲間としての戒めというか、掟を破っているんだから仲間じゃないんだから、八分にしてるというよりは、「あなた達はあなた達の戒めというか、掟を作りなさい」という事なんですよ。
だから、村や部落、日本の場合、村意識という言い方をするけれど、隣村では通用しない掟だってあるんですよ。
それをお互いに認識し合う。
ここは重要なんですが、理解したり、認め合ったりする必要はない。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
別に認めて貰う必要ないです
私はゲイです。ゲイなんですよ。
LGBT法案というのがあるんですが、私は反対です。
なぜ反対かというと、別に認めて貰う必要ないからです。
そして、皆さんに理解して貰う必要もありません。
私がゲイだと認識していてくれるだけでいい。
あなた達は私のセックス想像出来ますか?
したいですか?
同性愛を理解するって、そういう事ですよ。
同性愛を理解するというのは、、同じ性を愛するという事を理解する事だから、気持ちの問題ではなくて、はっきりセックスの問題です。
これ、理解して貰う必要は全くないです。
むしろ、私は理解されたくないです。
危ない性ですから。
「え?そんな事するの?宗匠。」みたいな。
ここで生々しい話を聞きたいですか?聞きたくないでしょう?
私も、これだけは話したくない。
なぜ話したくないかと言えば、それは私の大切な宝物だから、それを理解して貰う必要は全くないです。
共感して貰う必要も全くないです。
本当の『アメトコタチ』お戒め
よく、自分と違う人の事を理解しようと言いますが、理解出来ますか?
一緒に住んでいて、お互いが本当に理解出来合いますか?
難しいでしょう?
これは、とても西洋的な考え方です。
受け入れる必要はない。
そこに壁があって十分です。
ただし、「そこにいる」という認識があればいいんです。
日本はそれをずっとトライして来ました。
これが本当の多様性です。
そして、これが本当の『アメトコタチ』お戒めなんですよ。
「個々がいるという認識をする」という事。
これが徹底されているのが日本なんです。
だから、相手の事を白黒しない。
自分の事は白黒していますよ。
何故なら、先程の帯の話でも、もはや自分で締めたい帯は決めてるんですから。
白黒は自分でちゃんとしていて、あと崖から落とされたいだけの話です。
自分の事は白黒ちゃんとつけているけど、人の事を斟酌(しんしゃく)しない。
要は、理解しない。
「あの人はあの人ですから。」
これを二千数百年ずっとやって来た国なんです。
本当の事を言うなら、これが最高の個人主義じゃないでしょうか。
日本人が一番最高の個人主義ですよ。
夫婦であっても他人です。
親子であっても人と人です。
これが徹底しているのが掟という事なんです。
これは、法律で誰も書いていない。
何も書いていない。
「雨が常に上にある」というのは、そういう事であるという事です。
そして、これから先は分かりませんが、現在の日本のここまでの政治の今までの法律は、そういう掟の上に立った格論になっています。
今、民法を変えようと一生懸命してたりとか、憲法を沢山変えようとしている。
それは、時代の中で色んな解釈があるから、私が斟酌する話ではありませんから、次の時代の人達に任せる事として、今までの法律や憲法が悪かったとは私は一切思いません。
その時代その時代に合っていたものなんだと思いますし。
本当は掟としてあるべきもの
例えば、本当は自転車は一方通行を逆走してはいけないんだそうです。
でも、商店街に行ってごらんなさいませよ。
おばさん達はですね、前後に子供を抱えて乗って一方通行をどんどん走って来ます。
それをお巡りさんは取り締まらない。
軽車両だから本当は捕まっちゃうんですね。
でも、捕まっている人、見た事あります?
ないですよね。
あれは、本当は掟としてあるべきものなんですよ。
例えば、人が沢山いる所で乗って走るなよ。
チリンチリンとやればいいというものではない。
でも、そういえば最近チリンチリンってなくなりましたね。
自転車でチリンって鳴らしてるの聞いた事ないですね。
子供の頃は、チャリチャリチャリンと、走ったままわざとダメになるまで鳴らしたもんですけどね、そういえば最近呼び鈴ってないですね。
(東さん)
まだ有りますよ。
すごい鳴らす人と全く鳴らさない人がいます。
今はむしろ、大人で鳴らす人いますね。
楽しくて鳴らしているんじゃなくて、怒りをぶつけるかのように鳴らす。
(二條さま)
それはね、掟破りでしょう。
夕方3時や4時くらいの買い物客が沢山いる商店街に自転車で乗り込んで来てチリンチリン鳴らしたら、「お前、降りて行けよ。」って、「ちゃんと捕まって貰ったらいいね、お前は。」とそう思いますよ。
でも、じゃあと言って、私もお巡りさんに言いはしませんよ。
人は右、車は左と教わったけど・・・
例えば、うちの近所の道が、日本で一番危険な道に指定されたんですね。
テレビにも出ちゃってね。
中学校が山の上にあって、道幅はないのに左右をトラックもバスも通る。
そして歩道がない。
電信柱は地中じゃなくて地上に出ている。
そこを中学生は広がって歩く。
そこにダンプカーが通る。
私が子供の頃は、人は右、車は左と教わったんです。
何故かと言ったら、前から来るものは回避する事が出来るけど、後ろから来るものは危ないから。
あと、ひったくりですね。
前からのひったくりは警戒出来るけど、後ろからのひったくりだと、スッと持っていかれてしまいます。
だから人間は右、車は左という風にする事によって、前から来る危険を察知するこ事が出来る。
でも、横浜は民度が低いのか、それとも自分の所は外国だと思ってるのか知らないけど、車も左なら人間も左なんですよ。
だから、中学生達は車を背にして広がっているわけです。
まだ中学生ならクラクションを鳴らせばすぐ、端に寄ります。
問題なのは、イヤホンをつけている大人です。
全然動かないです。
そのまま我が道を行く。
あれは私の掟にはないですね。
私は、右側と小学校の時に教わったから完全に右側を歩きますね。
危ないですもん。
でも、それって危ないよって言ってあげたいのもあるけれど、まあ、学校の先生が教えないんなら、ここはきっと外国なんだろうと思って私は右側を歩く。
ありがとうございます
色んな例を出しましたが、我々は法律ではない掟に縛られている。
これが、「日本らしい」という事に繋がっていくのです。
そして、私達はそれを「神」としたのです。
「日本らしさ」を「神」にした。
そして、日本らしさを神にするけれど、外国人には日本らしさがわからないから、それを名前にした。
常に日本人は天から見られているという国民ですよ、という神様の名前をつけたんです。
これが、『アメトコタチ』という神様のお名前です。
拝み方は、手を前に合わせてそのまま上に行って、「どうぞ見て下さい」としたとする。
まあ、今はこんな拝み方はオウム真理教ぐらいしかしてないですけどね。
でも、本来はそうやって拝んだようです。
この先、「きこしめせ」「きこしめせ」という柏手がつくのは、神様に「聞いてください。」「聞いてください。」という音を立てて、神様の方を振り向かせるという方向になっていきましたが、柏手が打たれる前は、そうしていたという事になっています。
今日は、『アメトコタチ』。
「法律というよりは掟」というお話を皆さんにさせて頂きました。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld