和の美 「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」

こんにちは。
秋の長雨。 「秋の長雨」は夏の終わりと秋の訪れを知らせる雨ですが、ほんとうにずっと雨なので、10月ですがあえて「秋の長雨」。 「長雨」は普通は、梅雨のことをいいます。 花は色々あるけど、和歌などの世界では「花=桜」という気まりがあるように、「長雨=梅雨」なんですね。 先日、この秋の長雨の中、神宮の神嘗祭にお参りさせていただきました。 16日の22時から始まる神嘗祭・由貴夕大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)、松明の灯りの中、厳かに粛々とすすんでいきます。 松明の灯り。 そこには何ともいえない陰影の素晴らしい世界がありました。陰翳礼讃
谷崎潤一郎が、日本文化は陰影にこそ美を見いだすと論じました。 『新・陰翳礼讃』祥伝社
美の領域
確かに、現代に生きるわれわれは暗闇のなかの深さを知りません。 暗さは「暗い」だけで奥がない。 「われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。(中略)われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う」。(本文より) 明るさを得たことによって失った美の領域。 谷崎さんがこれを出版したのが昭和8年(1933年)だから、陰翳の美の領域を失いかけていたその時代からすでに70年程経っていることになります。 建物、部屋、建具、庭、着物、肌、飾り、食べ物、紙、あらゆるものが陰翳のなかで放つ美を書き記したこの本は、われわれがもう体験することのできない欠落した領域を示しているのでしょうね。