隣人愛に似た「和の精神」 ネルケ無方
現代を豊かに生きる智慧
こんにちは。
現代を豊かに生きる智慧は、かつての日本にこそ眠っています。
道元禅師の教えを純粋に行じるために設けられた修行道場、安泰寺は曹洞宗の寺院。
ネルケ無方は安泰寺の堂頭(住職)です。
日本人より日本人らしい外国人のお一人です。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
世界が憧れた日本人の生き方
「世界が憧れた日本人の生き方」(天野瀬㮈著)にネルケ無方のお話も書かれていました。
「日本社会には、隣人愛に似た「和の精神」が根付いている。相手を思いやり、他人に迷惑がかかるような行いは極力しないようにつとめている。」
彼の夢は、一生を座禅に捧げ自らの禅道場を持つことでした。
それをドイツでやろうか日本でやろうか迷った挙句、お寺の数は多いが信仰機関としてはまったく機能していない日本でこそやる意義があると決意。
そして現在にいたるまで、禅の実践者として日々精進されていらっしゃいます。
彼は日本人について、その著作の中でこう論じています。
「信仰心を盾にしながら戦っている欧米人よりも、はるかに豊かな精神を持っているのが日本人ではないでしょうか。宗教で喧嘩をしない善意の押し売りをしない日本人こそ私は好きです」。
このように、日本人の精神の豊かさを評価する一方で、よく「日本に宗教がない」と言われることについてはこうも述べています。
「宗教心があふれているからこそ、無宗教に見える。だから、他宗教に対して寛容にもなれるし宗教を理由に他人を否定する必要もない。宗教に無関心である日本人は最も宗教的な人間だと私は思う。」
八百万の神という言葉に代表されるように一義的な宗教を持たずとも、より普遍的な形で高い精神性を実現する日本人のあり方を突き止めてみせたのであった。
それが、社会における人々の振る舞いにも表れていることを指摘したのが、冒頭に掲げた一節です。
毎日の学校生活で実践
他者を思いやり、高い協調性を示す日本人にはキリスト教の隣人愛ともとれる精神性が備わっているというのです。
また彼は、日本の学校での禅の精神に基づく教育にも着目。
学校で宗教が科目として教えられることはないが、禅の教えそのものは毎日の学校生活で実践され教育されています。
たとえば、給食の時にみなで「いただきます」「ごちそうさま」の感謝の言葉を述べること。
あるいは、自分たちの使う教室やトイレを掃除する時間があること。
また、部活動で仲間意識や協調性を体で覚えること。
こうしたことが、禅の教えそのものなのだといいます。
なお、ドイツでは聖書を授業で学ぶが学校内でそれを実践する場はないというから、日本の教育の特殊性が理解されます。
このように、私たち日本人が禅を尊ぶ彼から学ぶことは非常に多くあると言えるでしょう。
(文参考:「世界が憧れた日本人の生き方」(天野瀬㮈著))
ありがとうございます
葉室の葉室山浄住寺も禅寺。
今年は浄住寺で禅を学んでみたいと思います。
禅は決して仏教だけではなく神道にも通じるところがあると思います。
神道と仏教が交じり合って古からの日本人の、和の心ができてきているのではないでしょうか。
その前に、安泰寺のネルケ無方に会いに行きたいです。
(写真:葉室山浄住寺本堂)
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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