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水と信仰2  河童は水のカミ

 

山のカミ

「正月さまござった、どこからござった、山からござった」と童謡(北関東地方)でもうたわれたように、歳神(正月さま)も山のカミが里帰りした、とされるのだ。

その依代(よりしろ)が松枝、とするところが多く、それが門松として過飾されながらも現代に伝わる。

山のカミは、いわば万能神的な存在だったのでる。

山は、天上界と地上界をつなぐ位置にある。

カミ・ホトケが天降るときの中継点とも考えられるが、山そのものがカミであり、山にカミ・ホトケ、魑魅魍魎までが棲んでいる、ともするのである。

そうした霊山を、オヤマとかミセンと呼んだ。

そのオヤマの地上を山のカミとすればよいだろう。

 

河童は水のカミ

さて、水のカミ。

水の霊は、さまざまな動物にのり移って姿を現す、という伝説も生じた。

たとえば、蛇・鰻・鮒など。

空想の水獣としては、龍や河童など。

それが、天変地異を鎮めようとしてのことなのか、あるいは異形怪奇のたたりをおそれてのことなのか。

これまでのところ解明されていない。

なかでも、河童は日本ならではの創造である。

文字どおりに解釈すれば、水(河)に棲む童。

現在への伝承では、妖怪じみたものが多いが、もとは水のカミの零落した姿であった。

そのことは、すでに「遠野物語」(柳田國男)をはじめとする民俗学の報告例から明らかなところである。

そして、河童を崇めると受胎と安産が叶うとされてきたのである。

そこでは、水は稲にかぎらず植物界を潤す。

その豊穣をもたらすのが水のカミ。

その水のカミは、また人間界にも豊穣(多産)をもたらす。

古く、そうした図式が描かれたのに相違あるまい。

ちなみに、水のカミは女神、とするところが少なくないのである。

 

祓いの水

水のそのものに浄化力がある、ともされた。

「水、三尺流れれば清まる」ともいう。

これは、日本に多い急峻な川の流れを指してのことだが、それが穢れをも水に流すことに通じる。

このことは、すでに「古事記」(712年)で明らかである。

黄泉の国(地下暗黒の世界)をのぞいた汚れを、伊邪那岐の神が地上界に戻って阿波岐原(水場)で禊をして祓う物語がある。

「中つ瀬に堕り潜(かず)きて滌(すす)ぎたまふ」、とあるのだ。

現在でも、滝に打たれての荒行が一部に伝わる。

その省略したかたちが、神仏詣でのときの「手水」である。

それで、禊をすませた、と相なる。

また、きわめて俗なるは、不祥事のあとでも、軽々しく禊ぎをすませたのひとことですます。

そうした信仰の縮小化、矮小化。

変化ではあるが、まだ変容には至らない、としよう。

そのなかに、水に対しての信仰文化の不断の連続性をみることができる。

これも、いかにも日本人的な文化伝承、といってよいだろう。

(文:Clasism2017年夏号:神﨑宣武著)

 

水の言葉

水と私たち日本人がいかに古くから密接に関わってきたか。

水にまつわる言葉や信仰はたくさんあります。

水の入った言葉はさまざまありますが、意外と、なぜか、いい意味でつかわれていなかったりするんですよね。

「水に流す」
過去の出来事を、残らずなかったことにする。
「方丈記」(鴨長明著)の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」にもあるとおり、流れゆく水は、万物の有為転変の象徴。
「過去は水に流して、前へ進もう」という呼びかけとしてしばしば使われます。

「水入らず」
近親者や内輪の者だけで、部外者がいない様子。
漢字テストで「みずいらず」を出題すると、「水要らず」という誤答が続出するらしいです。

「水臭い」
他人行儀なこと。よそよそしいこと。
元々は、食べ物や飲み物に含まれる水分が多すぎ、味が薄い、風味に欠けるという意味。
これが転じて、人間関係において心が打ち解けないことを指すようになりました。

「水も滴る」
人が生気にあふれ、つやつやしている様子。
最近ではもっぱら美男の形容として使われるが、美女の摸写に使われる例もあります。
類語に「水も垂る」がありますが、こちらは刀剣、鎧などの美しさを愛でるのに、よく用いられます。

などなどほんの一部ですが、みなさんは他にどんな言葉が思い浮かびますか?

とにかく水は古(いにしえ)よりとても大切なもの。

現在当たり前に飲むことができますが、感謝の気持ちを忘れないようにしましょうね。

今日もありがとうございます。

 

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