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意味深い万葉の言の葉  裏千家前家元 千玄室さんのお話し


(「桂本万葉集」旧桂宮家の旧蔵の写本)

 

一服どうぞ

裏千家前家元 千 玄室(平成30年4月22日(日)産経新聞より)

 

こんにちは。

少し前ですが、産経新聞に裏千家前家元  千 玄室さんの万葉の言の葉のお話がありました。

「言の葉」とは何でしょうね?

古くは、言葉を表す語は、言(こと)が一般的でした。

和歌に「言の葉」と使われてから「言の葉」は和歌を指す言葉でした。

「古今和歌集」仮名序の「やまとうたは ひとのこころを たねとして よろずの言の葉 とぞなりにける」

「和歌というものは、人の心を種にして、葉っぱが生い茂るようにたくさんの言葉となったものだ」

こうして「言の葉」が多く用いられていくのに並行して「ことば」にも言の葉の意味が含まれるようになりました。

「言葉」は言語を意味するもっとも一般的な語として定着しました。

和歌に使われた「言の葉」から「言葉」となったと思われます。

(参考:YAHOO JAPAN 知恵袋より

それでは、千 玄室さんのお話から、一緒に万葉の言の葉を学びましょう。

 

万葉=よろずの言の葉

 


(類聚古集)

 

『万葉集』は色々なことを教示してくれる日本古典の代表的な存在であり、特に当時の生活文化を知らしめてくれるものだと思う。

大学の予科で古典、特に漢文を中心に学んでいた中で、教授から時間があれば『万葉集』を読みなさいと薦められていた。

「紫は 灰さすものぞ 海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の街(ちまた)に 逢える兒や誰れ」。

紫染めには椿の灰を入れるので、椿を購(あなが)う椿市の「八十のちまたで出逢った君の名は」と問うて、いわば女性を軽く誘っているのだ。

紫染めと椿が交わる街。

その街で出逢った人を思う歌に惹かれた。

8世紀の中頃に編纂され、4516首20巻からなっている『万葉集』からは、その時代に生きた人々の「なま」の声が聞こえてくる。

『古事記』や『日本書紀』は天皇家や国造りを中心に編纂された歴史書だが、『万葉集』は日本独自の言語を用いた言葉の集まりでもある。

だから万葉=よろずの言の葉と題されたと習った。

 

意味深い万葉の言の葉

 

椿市の歌の中に出てくる「ちまた」は「辻」であり今でいう交差点のようなものであろう。

上についた八十を一緒に読み「八十のちまた」=「やちまた」となるそうだ。

ちまたのように現代の言葉としても残っているが、昔の意味が判然としないものも多い。

今も街と書くと多くの人が行き来し、にぎわっている様を感じるが、古き書でも多くの人が交わった姿が浮かび上がってくる。

人が住んで成業をなしているのは今昔同じなのである。

このように『万葉集』の言の葉は、現代の日常の中にも用いられて生きているのだ。

 


(「飛鳥の春の額田王」安田藪彦画)

寒い寒いと思っていたら、何時の間にか、つぼみが大きくなり、花が咲きそして散り、青葉の頃になると有名な「春過ぎて 夏来るらし 白妙の衣干したり 天の香具山」の歌が口ずさまれる。

この「しろたへ」なる意味は白い布だが、「しろたえの」になると衣・紐・帯などにかかる枕詞となってくる。

そうすると何も白だけにこだわりはなく、いろんな色を考え合わせられるようになる。

表現は白い布だが、その持つ意味の深さには、改めて深く感じ入る。

万葉集で教えられるのと同じように単語を組み合わせて何気なしに用いている、組み合わせを品詞に分解すると、その言葉の持つ深い意味になるほどと気づかされる。

外国人は「日本語を勉強するのは何とも難しい」と必ず言う。

それは言葉の一つ一つが『万葉集』でも分かるように意味深く、外国では理解されがたい日常生活の在り方が含まれているからである。

今、海外では日本語や日本文化の学習・研究が盛んである。

私も長年ハワイ大学の歴史学日本文化センターの教授として集中講義を行っている。

私の寄付講座である「Dr.セン チェアー」に米国本土の大学から日本文化研究者を招いて講義をしていただき、受講する学生には茶道実習も行っている。

外国人の方が日本文化を理解し身につけてしまう恐れさえ出てきている。

(せん げんしつ)

平成30年4月22日(日) 産経新聞より

 

ありがとうございます。

 

和歌に使われた「言の葉」から「言葉」となったのですね。

「言の葉」って良い響きですね。

「万葉集」というのも、万の葉、万の言の葉が集められました、という事なのでしょうね。

「万葉集」が二十巻から成る歌集として成ったのは、収録歌に付された年次から八世紀後半と考えられます。

ただし、原本「万葉集」はすでに伝わらず、それがどのようなものであったか、あるいはその成立が奈良時代末期か、それとも平安時代にまで下がるか、直接に知るすべはないそうです。

今、残されているのは、平安時代以降に書き写され伝わった種々の写本です。

そうした一つ一つの写本が示す多様な姿は「万葉集」というテクストが古代から現代に至るまでどのように読まれて、享けとめられてきたのか、その実際を物語っています。

ん~、ロマン!

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

古の時代から連綿とつづく和の文化、やっぱり素敵で楽しいですね。

 

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