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「箱屋」 成願義夫さんのお話し

「風雨の中を歩む芸者と箱屋」

喜多川歌麿 筆

お座敷の声がかかると、どんな天候であっても歩いて行かなければならなかった芸者。
雨天の足元は、裸足に高下駄が基本です。
その先を提灯を持って先導するのが「箱屋(はこや」
客がよほどのご贔屓筋やお大尽なら、天候を気遣って、「駕籠で迎えに行ってやれ」と、いうこともあったのでしょうが、やはりこのように歩いて向かうのが普通です。

ところで、箱屋とは?
芸妓の三味線を箱に納め、萌黄色の風呂敷を肩にし、弓張り提灯を持ち、座敷に向かう芸妓に同行する付き人のことで、道中の芸妓の護衛も兼ねていました。
箱屋には、海千山千の中年男性や花柳界に出入りする浪人などが就いました。
女に付き従う仕事なので、まともな男の仕事とは思われておらず、失敗をやらかして解雇された商人の手代とか、女や博打でしくじった職人とか、とにかく身を持ち崩した訳ありの人物が多かったと云われています。

箱屋といえば、川口松太郎の小説「明治一代女」を思い出します。
これは昭和初期に舞台、映画、歌にもなって流行しました。
この小説には芸者のお梅と箱屋の峯吉が登場します。
私がこの芝居を始めて見たのは7歳ぐらいで、近所のドサ回りの芝居小屋でした。今思えばませたガキでしたね。(笑)
これは、実際にあった箱屋事件(お梅事件)を元にしています。
男女の愛憎のもつれから芸者のお梅が峯吉を殺してしまい、無期懲役になった事件です。

和文化デザイン思考 成願義夫

 

 

喜多川歌麿

歌麿、みなさんご存知ですよね。
北斎、広重、写楽と並び、世界的に知られている浮世絵師です。
浮世絵の黄金期に、美人画絵師として活躍しました。
しかし、その生涯については実はよくわかっていません。
初め、狩野派の町絵師・鳥山石燕に学びましたが、版元・蔦屋重三郎に見出されて後、天明期より黄表紙の挿絵や錦絵を手がけるようになります。
寛政期に入り、評判の町娘や遊里の女性たちを魅力的に描き、浮世絵美人画の第一人者としてその名を知らしめました。
寛政の改革下、様々な表現の制約にも屈することなく、常に新しい表現手段を模索し続けましたが、文化元年(1804)、風紀取締りの処分(一説に入牢3日、手鎖50日の刑)を受け、その二年後にこの世を去りました。
浮世絵のアダチ版画さんより

それでは浮世絵とはどのような絵のことなのでしょうか。
戦国時代を経て、天下統一を果たした徳川家康が江戸に幕府を開きます。
平和な世が訪れるとともに、庶民の暮らし向きもよくなり、江戸では町人が活躍し町人文化が発展していきます。
江戸町人たちはかつて文化の中心だった京都から伝わる文物に飽き足らなくなり、地本という版本をつくるなど、庶民にも芸術文化が広まるような下地がつくられていきました。
それまで、芸術文化を担っていたのは特権階級・支配階級でしたが、江戸時代は町人が文化の担い手となりました。
その町人文化のひとつが浮世絵でした。
浮世絵は、絵画様式のひとつです。
江戸時代の幕開けと共にその歴史は始まり、生活や流行、遊女や役者などをテーマにした絵画で、庶民層を中心に盛り上がりをみせました。
ちなみに浮世絵の「浮世」とは「憂世」に由来し、江戸の世を謳歌(おうか)しようとする風潮の中で、浮かれて暮らすことを好んだ人々が「浮世」の字を当てたとされています。

 

ありがとうございます

平和の時代が始まった江戸時代は、社会が安定するにつれて町人文化が栄え、新しい文化が起こったのですね。
浮世絵や歌舞伎、国学や蘭学などが新しい時代への動きに影響を与えました。

いつも何気なく見ている浮世絵や歌舞伎。
その奥にはその時代の歴史背景がたくさん含まれているのですね。
そのようなことも知りながら作品などを見るのもいいですね。

いつもありがとうございます。
皆さんと一緒にすてきな日本の文化を楽しみましょうね。

 

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

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