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二條さま 古事記のお話しの2 第二話の3

タカヒムスヒ、カミムスヒ

これは、古事記の中で2番目に出てくる神様。
特に「タカヒムスヒ」というのは、タカギの神といって、この後、古事記にも日本書籍にも沢山出てくるゴッドオブゴッドの名前がつきます。
この「タカヒムスヒ」がお塩の神様だと思って下さい。
考えてみて下さい、お塩がなかったらこんなつまらないことない。
今の生活の中で、お砂糖よりもお塩がない方がつまらないんだね。
お塩がなかったら成り立たない会社も沢山ある。
お塩がどれだけ人間の生活を豊かにしたか。
そしてお塩を得るために、色んなことを人間は考え始めるのですよ。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

玄関前の塩は何でも寄せる

この器じゃああまり蒸発しない。
じゃあどうしたかと言ったら、もっと薄くしたらいいんです。
お皿が出来るんです。
ここにお水を溜めておいたら、すぐ乾燥してすぐお塩を得ることが出来た。
2番目の神器はお皿です。
ここにお塩をちょっと盛って神様の代わりとする。
ただ、皆さんに覚えておいて頂きたいのは、玄関にお塩を置いておくのは、あれはお清めではないです。
あれは寄せるためのもの。
清め塩なんていういらん宗教の手先みたいになって、玄関にお塩を置いておいたら悪いものは来ないなと思ってたら大間違いです。
あれは悪いものを寄せるためのもの。
昔、女郎屋さん、なんて本当にそういう言い方してはいけないけど、女郎屋さんが玄関の上にお塩を盛って置いておいたら、お殿様の牛車がそこに歩いてきたら、牛がこいつを舐めるもんだからそこに止まったんです。
じゃあ、ここでもって女の人とエッチをしましょうって、そういう話になったわけです。
だから、あれは避けるものじゃなくて、寄せるもの。
なので塩を置いたら清められると思ったら大間違い、清まりません。
寄せます。
色んなものを寄せるために塩を前に盛るのです。
だから、お商売屋には一番いいのです。
何でも来て欲しいんだから。
お客さんに来て貰いたいから、塩を盛る。
だけど、一般家庭で塩を盛るっていうのは僕からすると何の縁起もない。
あれは、バレンタインのチョコレートに近いものがあると思います。

 

 

塩の神様

我々は一番最初にこれを得ることによって、塩という神様を得た。
どういう訣か知らないけれど、こいつを舐めると元気が出てくる。
ミネラルが入っているわけですからね。
そんなことはわかりませんけれども、なにかここにあるものを舐めたら長く走ることが出来るようになった。
舐めたら今まであんまり考えられなかったのが、よく考えられるようになった。
塩を舐めると活動出来るようになったっていうのを、経験則で覚えてくるんですよ。
我々が得られたその二つの神様「タカミムスヒ」・「カミムスヒ」というのは、前お話しした細胞の話で言いますと、細胞壁と細胞核ということになるわけでございますけれども、宗教の根幹に関わってくるようなものになっていく。
塩と水っていうのは、生命にとって一番大切なものなわけなんだけれども、塩って経験則で、それも、お水の神様を拝んでいて、偶然に得られたものだと思います。
なぜかというと塩田だとか岩塩だとかっていうのは動物しか探せない。
人間はなかなか探しづらい。
ヤギだとか、みんな舐めてるなって言って、何舐めてんだろうって舐めてしょっぱいっていうのはわかるかもしれないけど。

お塩のあり方でございますが、ここにいた人は、今度は宿題として毎回お塩もあげてもらうことになるのですけれども、ただ毎日お塩ってあげられない。
では、お塩をですね、一つまみ、何のお皿でも結構でございます、今お水をあげているところに一つまみ置いてあげておいて下さい。
そして1回あげたらなくなるまでそのままでいいです。
毎回変える必要はない。
勿論、変えられる人は変えたらいいと思います。
僕のように1日と15日変えるとか。
1週間に1回変えるとか、1ヶ月に1回変えるとか、半年に1回変えるとか。
でも、多分残ってます。
このお塩も、どうするかを考えて欲しい。
例えばジンジンに焼けた松坂のお牛の上にサラサラサラッとかけてみる。
我々が得たものの、第二の神様は塩だった。
そして、それをお祀りするために出来たもの、これがお皿だったということでございます。

 

神様の中の神様と神様の母親

神様のお名前は「タカミムスヒ」、「カミムスヒ」という神様です。
「タカムスヒ」という神様は、神様の中の神様、いわゆる頭脳ということになります。
「カミムスヒ」という神様は、神様の母親。
「あれ?細胞壁が神様の母親?」って思う方もいるかもしれません。
戦闘能力において、実はオスとメスではメスの方が格段に戦闘能力が高いのです。
オスは一匹で相手を倒しに行こうとしますが、メスは集団で倒しに行きます。
したがって、最終的にやっつけられちゃうのはメスに狙われた獲物です。
守るということについては、メスにかなう力がないです。
これが神様の中に宿った時に「カミムスヒ」という神様になっていく。
メスとかオスという概念がないので簡単には申し上げられないけど、「タカムスヒ」がオスならば、「カミムスヒ」がメスだという風に思って頂いていいかもしれません。
これは、メスオスというデコボコの考え方だと考えて下さい。
多様性の中でのメスオスではありません。
私が話している話、というのが下手をすると、聞き方によっては変動的かつ宗教的に聞こえてしまうかもしれませんが、私は宗教は一切信じておりません。
宗教的でないのです。
これを自然科学と考えてください。
我々が宗教や神や仏というものを現実させるのは、心と頭だけなんです。
それをありがたがっているだけなんです。
例えば、僕はこの古事記の話をしているときに、今までずっとこういう風に言ってきました。
神社をお参りされて、お参りされた神社のその前に神様はおわしません。
決しておわさない。
明神という神様はいるかもしれませんが、神様はおわさないのですよ。
お墓の前に行って故人を偲んだところでそこに故人はおりません。
すべてここ(心)とここ(頭)が考え、もしくは最近「腸」という人もいますから、ここ(心)とここ(頭)とここ(腸)が考えていることなんです。
それが悪いかいいかと言っている話ではない。
こういう風になる心の動きというのがこの「神観念」なんです。

 

 

神観念が高い方は、心が豊か

神観念が高い方は、心が豊かということになります。
なぜかというと、見えないものを感じることが出来るからなんです。
だから、拝む。
だから、おろがむ(拝む)ということになるんです。
でも、そうじゃない。
例えば、神社でお札を買ってきて、神様が宿ってるという風に思ってるとしたら、宿ってないから。
あれはスーベニアだから。
そこの神社をお参りしたという、ただの印です。
御朱印と変わりません。
でも、神観念の高い方は、御朱印に神様を感じちゃうんですよ。
それを否定するものでもない。
しかし、はっきり申し上げて、仏様は何もしてくれない、仏様は何も教えてくれない。
本当です。
これに何かをしてもらった、何かに導かれたと思った、というのは、その人の神観念や仏観念が非常に豊かなんだ、という風に考えて頂きたい。
したがって、私はこの話であなた方を先導するつもりは全くない。
ということで、科学者だと思って私のことを見て下さい。
しかしながら、古代の人は、そういう、科学とかそういったものにまだ興味がなかった。

僕は、遅れているという考え方はしません。
なぜかというと、科学に興味がなかったんだと思います。
「どうしてだ」っていう風に思った時に、それを実測したり、臨床したり、そういう方法がわからなかったから、結果「神様」という名前にせざるを得なかったんだと思う。
塩だってそうです。
これ、多分、古代の人は、臭かったと思います。
今でいう石鹸があるわけじゃないし、お水だって。
僕の知り合いで、30年間お風呂のお水を変えてない人がいるんです、同じお水を沸かしては使っている人がいるんです。
もう、お風呂の中で藻が生えてるんですよ。でも、その人全然臭くないんです。
その藻が、水を綺麗にしちゃうらしいんです。
ゾッとするでしょう、ゾッとするけど臭くないんですよ。
それを飲めって言われたら私は嫌です。
本人に聞いて、「これ飲むの?」と言ったら、「飲めるわけないじゃない。お風呂に入る前に体の方はちゃんとその沸かしたお湯で流すんだ。」って。
足しては沸かし、足しては沸かし、30年変えてないそうですよ。
でも、それは藻が生えるからなんだけど、1週間同じお風呂の水に入ったことある方、いらっしゃいます?
私はあります。
そうすると、お風呂の壁面がちょっとぬるっとしますよ。
なんて言うか、苔が生えてくるみたいに。

 

塩はすてき

あったんですよ、昔はそういうことが。
そのぬるっとしたお湯で頭洗うと、途端に髪が臭くなりますね。
髪が乾いた後、やっぱり臭いです。
当時の人は、どうしてしたんだろうって言ったら多分、お風呂になんか入ったら、風邪ひいちゃうからお風呂なんか入らなかったんだと思います。
今でも、ネパールの山奥の人は、一切お風呂入らないらしいですから。
たまに入るらしいけど、入った後はすぐ服を着て体を冷やさないようにしないと風邪をひいちゃうらしいです。
今でも「頭を洗った後、乾かさないと風邪ひくよ。」と昔から言いますけど。
頭から風邪ひく、という風に子供の頃に言われたものです。
夜にお風呂に入るもんじゃないっていう。
昼間入って外でちゃんと乾かしなさいと。
今は昼間にお風呂に入る人なんかいないでしょ。
今の家の建築は、夜に入ると言う設定でお風呂も作ります。
昔は、せいぜい水浴びぐらいしか出来ない。
湯を使うなんて、そんな贅沢なことが出来ないのです。
だから、水で洗うかすすぐしかない。
こういった時代だから、体はみんな臭かったんだと思います。
これは日本人だけじゃなくて、世界中の人が臭かったはずです。
特に男子なんかは、とても臭かったんだと思います。
だけど、塩を体にすり込みますと、臭いのが、「芳ばしい」という言葉になっていくわけです。

草冠に方向の「方」と書いて「芳ばしい」。
なぜかというと、体の周りにある常在菌というのは、ちょっと塩っぱいものが好きなんです。
それを食べていい香りを醸し出していくんだけれども、汗から出る人間の塩分からだと、それは「ワキガ」とか「スソガ」とかというものになっていく。
けれど、こういうお水の中から取った塩を体に塗りますと、どういうわけか香りが変わってくる。
「これもちょっと素敵だな」と古代の人は思ったんだと思います。
だから体に塗る。
体に塗ると、何かしらないけど、染みるけれども、ちょっとした傷だと治りもいい。
ちょっと運動しようと思った時に、これをちょいとなめていくと動きが良くなる。
何か会合があって打ち合わせがあったとしよう。
日本の場合、古事記にも出てきますが、天安河原(アメノヤスカワラ)というところで神様が集まって会議をするというシーンが出てまいります。
これは、天の岩戸の段で出てくるわけですが、会議や会合を特に沢山したんだと思いますね。
古事記に出てくるぐらいだから、日本人は会議が好きなんですよ。
会議をしようと思った時に、ちょいとこいつ(塩)をなめるっていうと、普段はウトウトしてたのが、急に何かしらないけどスカッとするようになる。
これが「神様」になっていくというのは、無明の知(ち)というか、そこを言葉で濁してしまうのは恥ずかしいですが、経験則からそれをわかって、非常に有効なものであるという風に思ったんだと思います。

 

 

お塩とお皿

さて、この扱いでございますが、こんな小さいお皿がある人は少ないと思います。
ここにあるのは素焼きのものでございますが、もしそういうものをご購入になりたい方はご購入になってもいいし、ネットで調べてくれればいくらでも出てきます。
こういう小さなお皿あるかもしれませんが、普通はお醤油皿で結構です。
お家にあるお醤油皿をお塩を入れる皿にすると思って頂いて、扱いの仕方をお見せします。
まず、お塩をお皿に移します。
この時に、やりたい人は盛ったらいいです、でも盛る必要はないです。
なぜかというと、本当はこうなってたはずだから。
なのですが、どうやら日本人と言うのは、ちょっと造作がしてある方がありがたく見えるんでしょうね。
ですから、ちょっと盛っても構わない。
盛ります。
そうしたら、まず右手で縁を取ります。
左手に持たせます。
一回右手を外して、少し外して、もう一回今度は親指と人差し指で添えるように、前に。
こんなことしなくたって、さらさらってやって、置けばいいことなんだけれど、それはただ置くだけ。
「扱う」は、塩を入れる。
①人差し指と中指で持ち上げる。
②左手に持たせる。
③人差し指と親指に変えて、他を添えるようにして、前に出す。
なんと面倒臭いことでしょう。
この時間を使ったということが、観念を上げるための時間になります。
別の言い方をすると、神様に対する敬意という風に、宗教では言います。
でも、敬意ではない。
自分に使った時間だと思って下さい。
そういうことですよね、相手は何もないところに塩をあげようという。
空のものに空をあげようというんだから、別にやらなくていいことなんですけれども、この時間を使ったと。
ここにいらっしゃる方、全員お忙しい方だと僕はよく知っているんです。
お一人一人のパーソナルを皆さんから聞いておりますので、とても忙しい方々だということはよく知っているんですが、これとこれをやる時だけは時間を使いましょう。
大して時間はかかりません。
両方で1分もかからないはずです。
親指と中指で取る、持たせかける、親指と人差し指に添える。
これがちょっと大きくなりますと、もっと大変になってまいります。
もう一度ゆっくりやってみせます。
塩を入れます。
まず、中指と親指で取り上げる。
持たせかける。
持ち替えて、親指と人差し指に持ち替えて添えて、前に出す。
こういうことです。
この時に、この手がここにあるか、ここにあるかでは、全然見え方が違います。
「くれ」という感じに見えます。
この時にこの手が、私の場合、ここにちゃんとこういう風にいっていると、どうでしょうか?
見た目を見てください。全然違いませんか?
この見た目が、人が見ると宗教になるんですよ。

 

ありがとうございます

私の家では、僕のことをお上って呼んでくれているんです。
旅館の女将と同じですね。
字は上という字を書きます。
お上という。
だから、弟子達が、「あ、お上が神様に何かものを差し上げている」と見えてしまうわけです。
これがこうしてると、「なんかお腹空いてらっしゃるのね」と思われる。
ここで、これと同時にこれが後ろにこう行くと、そうするとおのずと手がこう上がってきたくなります。
そして先も言っているように、おろがむ形になります。
上から降ってくるものを受け取るために、こういう形になっていった。
なので、おろがむ形は上を拝むということになっていく、ということです。

今日の古事記は、「タカムスヒ」、「カミムツヒ」という神様で、それはお塩なんだと。
お塩というのは、お皿で出来上がったんです。
お皿じゃなかったかもしれない。
もしかすると、こういうものだったかもしれない。
いきなりこういうのを作るの難しいんですよ。
陶芸でお皿作るのは難しいんです。
最初、お椀にしてからまわしながら平らにしなくちゃいけない。
お皿はちょっと難しいから、本当は縁があったものだと思います。
でもそうじゃなかったら水がたまらないから、という風にして、こういったものは出来上がったと思います。
ここまでが今日のお話です。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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