葵太夫 日本の心、おもてなし
葵太夫 ファンの私
こんにちは。
葵太夫が大好きな私。
雑誌に載ると聞いて大興奮!
「EDO PRESS」Vol000(創刊号の前とのこと)に、「日本のこころ、おもてなし」と題して葵太夫が紹介されました。
人と人をつなぎ、もてなす日本の花街文化。
その中でも古くからの歴史を持つ京都の島原で、2014年、芸妓の最高位とされる「太夫」が約50年ぶりに誕生しました。
「葵太夫」と命名された若き太夫が所属する島原の「末廣屋」司大夫に思いを綴っていただきました。
(文:EDO PRESS JAPAN・江戸プレスジャパン合同会社)
島原太夫を知っといやすか?
京都の「太夫」と聞いて、何を思い浮かべはりますか?
「花魁(おいらん)だろ。」
いいえ違うんどっせ。
「花魁」は娼妓に当り、昭和33年売春防止法が施行されて花魁が居た「遊郭」は廃止され花魁自体が消滅しましとす。
京の島原の「太夫」は芸妓に当たり、花街である「島原」は今現在も残り、太夫も存在してます。
初っ端から濃い話しとなりましとすが、せっかくこの様に書かせて頂くご縁ができたことどすさかいに、少しばかりお付き合いしてやっとくれやす。
島原は京都駅から少し北西に上ったとこにおす。
約600年前には核となる傾城局が今の下京区におして、応仁の乱などの戦火に塗れながら転々としてましとすけど、天下を統一した豊臣秀吉が京の都を繁栄させるために御所の近くに遊里を作りましとす。
これが天正17年(1589)、今から約430年前に作られた日本最古の花街どす。
その後徳川の時代になり六条三筋町へ移転。
そして、今の場所に移されたときの騒動が「島原の乱の様だ」と言うのでここが島原と呼ばれる様になりましとす。
寛永18年(1641)、今から374年前の話しどす
一時は京の花街の総元締めとして君臨してた島原どすけど現在は寂れ、花街として営業しているのは元揚屋である「角屋もてなしの美術館」・置屋兼お茶屋「輪違屋」、そして昨年葵太夫のデビューに伴い私司大夫が輪違屋から独立し置屋「末廣屋」を始めましトス。
「京の花街は敷居が高ぅて行きにくい」て思われがちの中、町衆文化から生まれた祇園などの芸・舞妓と比べ、太夫は特に宮中文化から生まれてますさかいもっと来にくいて言われてました。
それを払拭すべく若い葵太夫と様々な催しをしながら、皆様にほんまもんのお座敷遊びの伝統文化を楽しんで頂いてましとす。
20代30代のお客さまや女性がたんと来とくれやすようになり、確実にお座敷遊びのファンが増えてきてます。
どうぞ日本最古の花街で太夫と一緒に日本のお座敷文化を楽しみに来とくれやす。
(文:島原 末廣屋 司大夫)
(写真:田口葉子)
ありがとうございます
正式に太夫としてお目見えした太夫は半世紀ぶり。
今では見ることも知ることもできなくなったかと思っていた、太夫とのお座敷遊び。
みなさんと楽しみませんか。
先日、私は体験、とっても楽しかったですよ。
和の素敵は京都 嶋原 末廣屋の葵太夫を応援しています。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.