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「身も心も清める」  お茶席から学ぶこと

 

こんにちは。

 

お釈迦さまの言葉に

「沐浴や祭りごとでは人は清められない。行いでしか清められない。

水行や滝行や石や水晶やおまじないでは、自分を清めることは出来ない。

心がにごると行いがにごる。

にごった心で一時的に清い行為を行っても永続きしない。

まず心を清めること。

人のために祈ることはいい、人のために祈ることによって心のにごりがとれ、行いがきれいになり清められる。」

とあります。 

心を清める、身を清めるとは?

お茶の世界にも清めるしぐさがあります。

そこから学べるかもしれませんね。

今日は、山﨑武也さんの「なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?」より学ばせていただきます。

 

道具を清める、これすなわち心も清める

 

お茶のあちこちに「清める」という考え方や動作を見ることができます。

典型的なのは、道具をお客さまの前できれいにして見せるときです。

もちろん、それまでに細心の注意を払って磨き上げられています。

もっとも、磨くといっても実際こすって光らせたりするのではなく、入念に手入れをするのです。

柔らかい布で赤ん坊をきれいにするような、やさしい丁寧さです。

精妙な漆塗りの道具などもあるので、ソフトに扱わなくてはならないのです。

そのような清浄このうえない状態になっているのだが、もう一度念には念を入れてきれいにします。

その際の道具を清めるという動作をすることによって、実は自分自身の心の中にある汚れも取り除き清浄なものにしようとしています。

また同時に、それを見ている客のほうも、亭主と同じように自分自身の心を清めるのです。

一つの動作が象徴的に瑞緒となって、一座の人びとの心に連鎖反応を起こしていきます。

お茶の心が周囲に広がっていく瞬間です。

これも茶道の精神が目指している効果の一つです。

自分が率先していいことをすれば、心ある人はそれに倣う。

それは優れた人間性に対する信頼がある証拠です。

 

日々、清めています

 

もちろん、道具だけでなく、茶室の中にある物すべては清潔であると同時に清らかさが滲み出ている風情であることを要します。

畳もきれいに掃き清められています。

したがって人が身につけている衣服などにも、汚れ一つもあってはなりません。

特に足袋については、見るからに清潔であることも必要なので、白色のものと決まっています。

 

人間そのものが清潔であることは当然です。

茶室に入る寸前に、風呂に入ったりシャワーを浴びたりして汚れを落とし、歯も磨いておくのが理想的です。

現実的ではないですが、茶室に到達するまでの道中着の類は着替えるくらいの心構えも必要です。

もちろん、そのようなことは実際には難しいですが。

 

だが、同じようなことは、半ば無意識にではありますが、日々私たちの実践しているところでもあります。

大切な人に会ったり重要度の高い会合に参加したりするときは、誰でも鏡の前に行ってネクタイの歪みを直したり化粧をし直したりしています。

そのとき同時に、上辺をつくろうだけでなく、心密かに「よし」と気合を入れているはずです。

その瞬間に程度の差こそあれ、心の中をも清める結果になっています。

 

ありがとうございます。

 

最初のお釈迦さまの言葉は、神や仏は自分の心の中にいるものだとも言っているのです。

だからまず自分の心を清らかにする努力、人の幸せを願う心を心を育てることが肝心。

自分が幸せになろうと思うなら、先ずは他人を幸せにすること。

それが自分が幸せになる一番近道ですね。

お金お金、私が私が、の時代はもういいでしょ。

これからは先ずは身近な大切な人から、そして隣人、いつかはみんなが笑顔あふれる毎日を過ごせますようにって。

多くの方がこのように思う日々が来れば、争いのない平和な世が来るのではないでしょうか。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

これからも浄住寺ともども、宜しくお願いいたします。

 

参考
これからは心の時代
「我」を捨てること、難しいですよね。
和の心 正直と浄明の心
足袋が教えてくれる和装の魅力

 

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